「忘れない」ということは単純に覚えていることではなくて |
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1944年7月、サイパン陥落。日本軍部は沖縄決戦に備え、非戦闘員である老人・女性・子供の疎開を沖縄へ指示。
8月21日、炎天下の那覇港から疎開船3隻が本土へ向け出港。そのうちの1隻が、対馬丸であった。
8月22日鹿児島県・悪石島の北西10km地点で、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、対馬丸は1418名とともに海中に沈む。辛くも助かった者たちには緘口令がしかれ、沈没の事実を誰にも話すことはできなかった。
終戦から10年ほどを経て、少しずつ語りだした生存者たち。対馬丸沈没から65年、数少なくなった生存者の耳には今でも、真っ暗な海に響く叫び声が聞こえるという。 |
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「これでいいのか?」と常に問いかけることである。 |
戯曲『銀の鈴』は2000年7月に初演。その後『銀の鈴』は推敲を重ね、沖縄本土復帰35周年、海底に眠る対馬丸発見から10年目の2007年に3度目の公演を行った。その戯曲『銀の鈴』を基にして映画版が製作された。「癒しの島」と謳われ本土からの旅行者が絶えない沖縄であるが、その言葉の裏には途方もない代償が払われているということを我々本土の人間が見ることはあまりない。そして、生き残ってからも戦争に巻き込まれながら必死に生きて行かねばならない姿を見ることもあまりない。拙作『銀の鈴』が対馬丸事件の全容を語れるなどとは決して思わないが、「忘れない」ということは単純に覚えていることではなくて「これでいいのか?」と常に問いかけることである。 |
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本土から沖縄へ向かう海には本土から沖縄へ向かった数多くの軍艦や飛行機が沈んでいる。その中に、本土を目指した対馬丸は、本土への憧れを抱く多くの子供たちの命とともにその身を海底に横たえている。
彼らの悲痛な叫びは、海に波がある限り消え去ることはない。 |
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この映画を対馬丸のすべての関係者に、そして先の戦争で亡くなった名もなきすべての方々に捧げたい。 |